薬物療法

薬物療法

1 メンタルな病気について

薬の説明の前に、少しメンタルな病気について説明したいと思います。皆さん、メンタルな病気は「心の病気」と思っていらっしゃると思います。しかし、「はじめに」の項で述べたように、実は、メンタルな病気のうちの多くのものは、「脳の病気」です。

表1でお示ししましたが、「てんかん」から「不安障害」まではかなりの程度、脳に起因している病気と考えられています。ところで、脳というのは、一つの内臓ですね。同じ内臓の病気である心臓病や肝臓病では薬が効くのと同様に、脳という内臓の病気であるメンタルな病気にも、薬が効くわけです。よく、「なぜ心の病気なのに薬を使うのですか?」という質問を受けます。その疑問はよく分かるのですが、しかし、その答えとしては、「心の病気でなくて、脳の病気なので、他の内臓の病気と同じように、お薬を使うのです」というお返事になりるわけです。


2 うつ病の成因と薬

この章では、うつ病を例にあげて、メンタルな病気のメカニズムと、その治療薬について説明しようと思います。なぜなら、うつ病では、病気や、薬の効くメカニズムが、かなり解明されているからです。脳というのは、神経細胞という、糸のようなものが絡みあってできています。そして、図1で分かるように、一本一本の神経細胞の間は、離れていて、その間では、「神経伝達物質」という化学物質が行き来をして、情報の伝達がなされているのです。その神経伝達物質には、いろいろあるのですが、特に、うつ病には、「セロトニン」「ドーパミン」「ノルアドレナリン」の三種類が関係が深いと言われています。


健康な状態の人の脳では、図2のように、神経と神経の間で、活発に神経伝達物質が行き来して、盛んに情報伝達が成されています。しかし、何らかの理由で神経伝達物質が減ってしまうと、情報伝達がうまくいきません。そうすると、脳全体がうまく働かなくなり、「思考力、判断力、集中力の低下」や「意欲 や興味・関心の低下」が起こります。この状態が、うつ病の本態と考えられています。さて、ここで薬の話に入りますが、上述のように、神経伝達物質の減少が、うつ病の本態だとすると、治療としては、それを増やすようにすれば良いわけです。実際に抗うつ薬は、神経伝達物質を増やすようなメカニズムを持つことが分かっていて、そのメカニズムを通じて、うつ病を治すと考えられています。


3 メンタルクリニックでの薬物療法

ここから薬について具体的に説明したいと思います。まず薬の分類からです。当院では大まかにいうと、表2にあげた7種類の薬を主に使っています。

まずは上からメジャートランキライザー。強力な精神安定剤のことです。それに対して、穏やかな安定剤というのが、マイナートランキライザーです。これを皆様に説明する時は、「抗不安薬」と呼ぶのが最も正確とは思うのですが、つい私は、「安定剤」と呼んでしまいます。 さてその下の抗うつ薬は分かりやすいですね。その次は気分安定薬ですが、これは「落ち着かせる」という意味の安定ではなく、 躁うつ病の大きな気分の波を抑えて安定化させるという薬です。英語では、「ムードスタビライザー」と言います。前述のメジャーやマイナーは正式には「トランキライザー(トランクゥイル=静穏)」いうのですが、英語にすると、その違いが、より分かりやすいと思います。 なお、この表には、当院でよく使う個別の薬の名前も挙げておきました。次に薬の使い方について述べたいと思います。かなり以前は、だいたい、メジャートランキライザーは統合失調症の薬、マイナートランキラーザーは不安障害の薬、などと、薬とそれを使う病気とは1対1で決まっていました。しかし、最近では、かなり薬物療法が変化しており、この一対一対応が崩れてきました。


現在では、表3のように、従来の使い方を大きく逸脱するような使い方が成されています。一番、意外に思われるのが、メジャートランキライザーだと思います。元々は統合失調症の薬だったメジャートランキライザーですが、現在では、治りにくいうつ病の方には、頻繁に用いられます。さらには、躁うつ病(双極性障害)の治療にも、特に欧米ではよく使われており、今後は我が国でも、それが普通になっていくと思われます。

 


4 メンタルクリニックの薬物療法の意義

さて、実際の薬の使い方をご説明する前に、よく効かれる質問にお答えしたいと思います。それは、「メンタルな病気の薬物療法って、結局は対症療法で、根本的治療法ではないのでは?」というご質問です。それは誤解です。図3に示したように、「肺炎」という病気を例に挙げてみましょう。肺炎というのは、肺に菌が入って様々な症状を出す病気です。根本的な治療は、菌を殺す抗生物質を飲むことです。一方、肺炎でも、熱が出たり、のどが痛くなったりしますが、それに対して、消炎鎮痛剤が処方されることがあります。それは対症療法(病気を根本的に治す治療法ではなくて、症状を一時的に軽くする治療)と言えるでしょう。

これを、うつ病の治療に置き換えると、抗うつ薬は、抗生物質と同じように、根本的な治療と言えます。前述したように、うつ病の本質的な成因に対して有効な治療だからです。一方、うつ病に対して、マイナートランキライザーを服用する、というのは、肺炎に対して消炎鎮痛剤を飲むのと同じです。一時的に症状を和らげますが、うつ病を根本的に治すわけではありません。おそらく、精神科の薬物療法を否定される方は、精神科の薬は全て「消炎鎮痛剤(≒マイナートランキライザー)」のようなものだと思われているのだと思います。しかし、抗うつ薬は違います。肺炎における抗生物質のように本質的に有効です。ですから、もし、うつ病と医師から診断されたならば、抗うつ薬はぜひ飲んでいただきたいと思います。


5 実際の治療

ここでもまた、うつ病に対する薬の使い方を中心に述べたいと思います。図に簡単にまとめてみました。まず、見ていただきたいのは図の一番下です。図では、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)と書いてありますが、ほとんど全ての抗うつ薬で、同じような処方の仕方をします。すなわち、「少量から始めて漸増し、可能な限り最大容量まで増量し、良くなってからも、しばらくは同じ量で飲み続ける」というものです。薬によっては、「なるべく少量ですめば、そのほうが良い」というものもあります。睡眠薬やマイナートランキライザーは、その代表でしょう。しかし、抗うつ薬は違います。一旦使うと判断したら、十分な量を飲んでいただくほうが良いのです。それも十分な期間、飲む必要があります。そうしないと症状が十分に治りきらないのです。患者さんによっては、来院されて2回目、3回目の時に、少し改善感があるのにもかかわらず、なお抗うつ薬を増量することに抵抗があるかもしれません。しかし、現代の薬物療法では、「抗うつ薬は、多少の改善が得られたにせよ、十分な回復が得られるまでは増量し、できるだけ、その薬の最大服用量まで飲んでいただく」といった原則があるとご承知置きいただき、処方通り飲んでいただきたいと思います。

さて、図4に戻りますが、「寛解」という言葉があることにお気づきでしょうか。「寛解」という言葉は「薬を飲んではいるが、ほぼ元の状態まで回復した状態」という意味です。患者さんご自身は、「もう良くなった」と思われるでしょう。しかし、薬はこの時期以降も飲み続けていただきます。というのは、うつ病というのは極めて再発が多い病気だからです。特に、寛解後の数カ月が最も再発の危険性が高いと言われています。ですから、寛解のあと、しばらくの間は、抗うつ薬は最大量のまま飲み続けていただきます。さて、これまで、うつ病についてお話ししてきましたが、他の病気でも、「(マイナートランキラーザーや睡眠薬以外は)使うのであれば十分量の薬を使う」、という原則は変わりません。双極性障害(躁うつ病)では気分安定薬を飲んでいただきますが、気分安定薬の量も、抗うつ薬と同じように十分な量まで増量する必要があります。また、最近は、不安障害に対して、SSRIという抗うつ薬を用いることが多いのですが、その際に服用していただく量も期間も、うつ病とほぼ同様です。いずれにせよ、メンタルクリニックの薬は、少量を漫然と飲んでいるだけでは、あまり意味がありません。


6 薬の副作用

さて、最後に、メンタルな病気に使う薬を服用する際の副作用について述べたいと思います。表4で示したように、副作用は、①その薬を飲んでいる時の副作用と、②その薬を止めた時に現れる副作用、とに分けられます。①の飲んでいる時の副作用としては、最近良く使われているSSRIやSNRIというグループで共通して、飲み始めの「吐気と眠気」があります。

ただ、それらはあくまでも一過性に出現する副作用で、あまり重篤になることはありません。一方、長く持続する副作用としては、性機能障害があります。これは、性欲低下を始めとして、いくつかの症状が出現する可能性があります。もし、この副作用でお困りのようなら、ご遠慮なく医師に御相談ください。

さて、次に、②の、薬を止めた時の副作用というものがあることも知っておいていただく必要があります。まず、マイナートランキラーザーや睡眠薬ですが、これらは、急に止めると、「元々あった症状の増悪」がみられます。薬を止めると、「薬を服用していない場合の、素のままの状態」が現れるのではなく、薬のせいで、「素のままの状態よりもひどい状態」が出現するのです。睡眠薬を例にあげると、ある日突然、睡眠薬を止めてみると、たいていは、よく眠れません。薬を止めた方は、「自分の不眠症はまだ治っていないのだろう」と考えてしまうと思います。しかし実はそうではないのです。睡眠薬の副作用として、「急に服用を止めた場合、止めた日の睡眠を妨害してしまう」という厄介な副作用があるのです。これを「返跳性不眠」と言います。ですので、マイナーや睡眠薬を止める時は、医師と相談しながら、慎重に少しずつ減らしていくのが大切です。そして、減らしていく途中で、もし苦しい症状が出てしまったとしても、それを、「元々の病気が治ってないからだ」と早々と決めつけるのはやめて、薬を止めるときの副作用ではないかと考えてみましょう。さて、そういった、薬を止めた時の副作用として、もう一つ有名なのは、SSRI(特にパキシル)で有名な「シャンビリ」というものです。これらの症状は、マイナートランキラザーや睡眠薬とはまた違って、「元々なかった症状が、突然出現してしまう」といったタイプの副作用です。

具体的には、メマイのような独特な身体感覚が突然現れます。それを多くの方が、「シャンシャンする」とおっしゃいます。しばしば、頭の向きを変えたり、あるいは、目を動かしたりする時に現れるようです。また、それとほぼ同時に、身体のそこかしこに、まるで、電気が走ったように、「ビリッ」という痺れのような感覚が現れます。この二つの症状を合わせて「シャンビリ」と、一部の方から呼ばれているようです。ただし、これは飲む方の体質にも関係しているようで、まったくこの副作用を感じないというかたもいらっしゃいます。さらに、薬剤メーカーも、いろいろと工夫して、この副作用が出ないように、改良型を出しています。パキシルも、今は、副作用の少ないパキシルCRという薬に置き換わりつつありますし、また、同じSSRIでも、この副作用がほとんどでない薬(レクサプロ)も使われています。

最後に念のため付け加えることがあります。1つは、妊娠中に、薬を飲むことによって、赤ちゃんに影響を与える場合があるということです。有名なものは、デパケンです。これを服用しながら妊娠すると、赤ちゃんに重篤な奇形が生じることがあることが知られていいます。一方、同じ、気分安定薬でも、ラミクタールは、赤ちゃんに与える副作用が少ないことが知られています。さて、そのラミクタールですが、やはり全く副作用がないわけではありません。この薬のただ一つの副作用は皮疹です。薬は全て、アレルギー反応として、肌にブツブツができるという可能性はあります。ただし、ラミクタールは、その頻度も重篤度も高いのです。いったん皮疹がでてしまうと、入院が必要なほど悪くなることもあります。しかし、この副作用も、飲み始めに「なるべくじっくりと増強していく」という注意を守ると、ほとんど出現することはありません。