建築を描く理由について
私はペン画を習っているのですが、現在、その教室の作品展が開かれています。

私も3点ほど出展しています。池袋のコミュニティ・カレッジという所で行われています。
もしお近くにお越しの機会がありましたら、ご覧いただければ幸いです。
作品をご覧になった方から、ときどきこんな質問を受けます。
「先生は、どうして建物ばかり描くのですか?」
確かに私は、教会や広場、古い街並みなど、建築ばかり描いています。

自分でも、その理由を考えてみたことがあります。いろいろな理由がありますが、その一つは、建築には「用の美」があるからです。
建築はいわゆる芸術のための芸術とは違って、必ず用途があります。柱は屋根を支え、壁は風雨を防ぎ、人を守る。
さらには重力という絶対的な法則に逆らいながら、何十年あるいは何百年という時間を経ても、なお建ち続けています。
そういった、内実を伴った美しさが建築にはあると感じて、惹かれているのだと思うのです。
いわば、声高に自己主張をしないならがらも内実を伴った人、きちんと仕事をする人の佇まいの美しさに似ている感じですね。
話は変わりますが、私は職業人としても専門職としても、そのような存在になりたいと思ってきました。
医学の世界でも、キャッチーな理論を滔々と述べたり、患者さんの耳には優しい言説を語ったりするのが上手い先生はたくさんいます。
でも、そういった先生が治療が上手いかというと、そうでもないのです。同業者から一目おかれる名医の方々は皆一様に、あまり多くを語らず、ただ黙々と仕事をしてらっしゃるように思います。
ちょうど、何も語らないながらも、そこにあるだけで、多くの役割を果たしている建築達のように。
さて、もう一つ、私には不思議な感覚があります。古い町や、美しい広場に立つと、何とも言えない幸福感を覚えるのです。
景色が美しい、というだけではありません。町全体に、自分が静かに受け入れられ、何か大きなものに包まれているような安心感を覚えます。
ちょっと精神科医の我田引水かもしれませんが、このような感覚には理論的な裏付けがけっこうあります。
例えばユング心理学では、町や家は母性的なものを象徴すると考えることがあります。私は何でも心理学の理論で説明することには慎重でありたいと思っています。
しかし、この感覚を思い返すと、その考えに全く共感できないわけでもありません。私が古い美しい町を歩き、そして描くのは、その静かな安心感に、もう一度出会いたいからなのかもしれません。
ちょっと難しい話になってしまいましたね。
実際のところ、私がペン画を描く最も大きな理由は、単純に没頭できて、ある意味、無我の境地(?)に入れるからですかね。
例えば「ハッチング」という、何本も線を並べて描くことによって陰影を表現していく技法があるのですが、それもやってみると、だんだん気持ちよくなって、病みつきになります。
皆様も、もし興味が湧いたら、ぜひやってみてください!