小冊子 まとめ

小冊子 まとめ

さて、最後に、この小冊子のまとめとして、森田療法についての私見と、当院の治療の特徴について述べたいと思います。

森田療法についての私見

森田療法を理解するのはとても難しいと思います。森田療法の概論については、本書の森田療法の章や成書を参考にしていただくとして、森田療法を理解するために私がポイントだと思う点をいくつか述べたいと思います。まずは、認知行動療法との比較から述べたいと思います。

図1に示しましたが、両方の治療法を、「不安」に対するアプローチを例にあげて比較してみました。認知行動療法では、不安はコントロールしうるものと考えて、不安に焦点を当て、(さすがに、直接不安を軽減させることは難しいので)認知に働きかけて、不安が二次的に軽減するような方法をトレーニングします。一方、森田療法は違います。不安という感情は、「誰にでもある自然なもの」と考えコントロールしようとはしません。「そもそも、コントロール不可能な物を、コントロールしようとするから病気になるのだ」とすら考えます。そして、あえて、不安を抱えている人に対しても、その不安に焦点を当てず、人生に目を向けさせて、「不安とともに生きていく方法」を体得させます。

さて、ここからは、森田療法について、私の思うポイントについて、少しだけ述べていきたいと思います。


1:森田療法の治療戦略

たとえば、今からスピーチをしなくてはならない人がいるとします(図2)。

もちろん、とても緊張していることでしょう。しかし、こういう時は気にすれば気にするほどよけい緊張してしまうものです。さらには「緊張しないようにしよう」などと思うと、よけい心配で不安も増してきます。


注意が不安に注がれると、よけい不安が増大してきて、そこにさらに注意が注がれ悪循環が始まり……、挙句の果てには、最初は、ごく普通の範囲の緊張だったのが、結局、震えや動悸、息苦しさや発汗なども伴う、かなりの不安緊張状態になってしまったりします(図3)。


今の例は、例えとしてスピーチの前の緊張をあげたのですが、実際には「緊張」や「不安」、あるいは些細な身体症状全てに今の話は当てはまります。森田先生は、この悪循環こそが、神経症の発症の源だと考えたのです。つまり、「不安や、些細な身体症状に対して、そこに集中することによって悪循環がはじまり、症状が増大していって、最終的には神経症という病気が発症してしまう」というわけです。そして、その悪循環を断つ方法を考えました。

さて、では、どうやって、症状への自己集中を止めさせるかですが、それについてまとめたのが、図4です。

森田療法では、スピーチの緊張に捉われ、「緊張のあまり、頭が真っ白になってしまって、話もできなくなくなってしまうのでは……」などと思い悩んで行動が止まっている方には、こう言います。「いま、あなたのするべきことは何ですか? スピーチによって、皆に訴えたいことは何ですか? あなたの主張によって皆を動かすことが、あなたのやるべきことであり、また、あなたの本来の願望も、そこに向かっているのではないですか?」と問いかけるのです。そして、「自分と、皆のために、できることを、緊張があるがままに主張していこう」という課題を設定します(図4)。

これが、森田療法の、不安に対するアプローチです。図4に示すように、「症状に対して注意が注がれて、症状がさらに増悪する」という悪循環のサイクルから、「建設的な願望、欲求、行動に注意を注がせる」ことによって、不健康で意味のない、とらわれへ繋がる悪循環から、建設的で、他者への貢献もできて意味のある好循環へと、患者さんの注意を向かわせます。このように、患者さんの注意を向かわせることができるという理由の一つとして、「人の意識というのは、ある瞬間には、一つのことしか考えられない」という事実を挙げることができます。この事実を利用して、森田療法では、「症状のことを気にするな」という指示ではなく、「(自分でコントロールしうる)現実の問題に注意を向ける」という指示により、症状を意識の端の方に退かせて、症状への自己集中を止めさせる、という治療戦略をとっているわけです。

結局、森田療法というのは、「症状とか不安に対する自己集中を止めさせるために生み出された、森田先生の、巧妙なたくらみ」というふう考えると理解がしやすくなるのではないかと考えます。


2:森田療法的な行動の指針

さて森田療法の根本的な考え方の説明が長くなってしまいましたが、補足として、私がしばしば患者さんに説明する森田療法的な行動の指針をいくつかあげ、解説しておきます。

①「あるがままに成すべきことを成す」
「あるがまま」という言葉が、森田療法の本を開くと必ず出てきます。森田療法を学ぶ上でとても大切な言葉なのですが、同時に、理解が難しくもあり、森田療法を学ぶ方が最初に躓くところでもあると思います。この言葉は、皆さんに、東洋思想上の悟りを得た人とか仙人のような人になりなさいといった意味では全くありません。さらには、「今のままの自分でいいから、自信を持って生きなさい」というような、まるで映画の歌詞のような甘い台詞でもありません、この言葉を理解するには、言葉を継ぎ足して、「あるがままに、成すべきことを成す」という一続きの言葉にすると分かりやすいと思います。 つまり、あるがまま、とは、「症状とか不安があるままにして(つまり、それを取り去ろうとしないで)、つらいながらも、目の前のやるべきことをやっていこう」といった意味です。そこには、仙人のようになるといった現実ばなれした崇高なニュアンスもないし、ましてや、「今ある君のままで何もしないでいいんだよ」といった甘いニュアンスもありません。むしろ、今あなたがどうであっても構わないから、「目の前の、やるべきことに手を付け、遂行していこう」とか、「どれだけ遂行できたか、のみによって人は評価されるのだから」といった、現実的な、ある意味、厳しいニュアンスが含まれているのです。

それにしても、この言葉はやはり、森田療法の真髄を端的に言い表していると思います。皆さんも、この言葉の意味をよく理解していただきたいと思います。

②「まずは、『自分に症状がなかったら、この場合どうするか』と想像してみましょう。さて次に、その選び取った行動を、症状があって苦しいながらもなんとかやり抜きましょう」
この言葉は、当院で、よく患者さんにご説明して、共感が得られる指示です。どうでしょう? 簡単な指針ではないでしょうか?この指針に従うと、「症状がなくても、別に、自分はそれをしないだろうな」ということは、しなくても良いということになります。この理解は、患者さんの気持ちを軽くするようです。あるパニック障害の患者さんは、電車に乗ることに恐怖を感じ、いつもタクシーを使っていました。その選択により恐怖を回避するかわりに、いつも自分を責めていました。「自分は、かならずいつも、電車に乗るべきなのに、それから逃げている……」という訳です。しかし私は次のように説明しました。「症状のない普通の人でも、タクシーに乗ることはありますよね? タクシーに乗ること自体が悪いわけではありません。疲れていたり、急いでいたりして、『普通の人でもタクシーを使うだろうな』というときはタクシーに乗り、『この状況では普通の人は電車を使うだろうな』と思う時は電車に乗ってください」と言ったのです。すると、まず、この方は自分を責めなくなりました。晴れ晴れとした顔で、「こういう時は普通の人もタクシーに乗るよな、と考えたら楽になったのです」とおっしゃいました。 さらに良いことには、「普通の人は、こういう時は、タクシーでなくて電車にのるだろう」と考えたときには頑張って電車に乗るようにし、電車に乗ることが増えると、しだいに、その苦痛も減ってきたのです。今では、昔、タクシー代として月に何万円も払っていたのが嘘のような生活を送っています。皆さんもぜひ、この「症状が無かったとしたら自分が選ぶであろう行動を、症状がありながらもやり遂げる」といった行動の指針の則って行動していただきたいと思います。

③「いつも動いている生活を!」
この指示も、私はよくお伝えします。先に述べたように、人間の意識というものは、一時には一つのことしか考えられません。何かに集中すると、その前の瞬間に思いつめていたことから、意識をそらすことができます。集中するのに一番良いのは何か行動することですね。行動すると、否応なしに今現在目の前にあることに集中することになりますから。ですから、人間は、いつも動いているのが良いのです。森田先生も、それを心がけていたようです。家に帰ると、服を着替えるのもそこそこに、目に入った庭の木の枝ぶりが気になると庭に下りて手入れをしたり、さらに、その作業中に、他のことが気になると、そのまた別の作業に入って行く……というように、いつも心が注意を向けるままに、サッと手を出していったようです。やることは、何も大それたことを行う必要はありません。例えば、目についた本棚の整理といったことでも良いのです。森田療法では、よく、「(そこを眺めて)気持ち悪いと思ったところがあれば、そこに仕事が生じる」と言います。机の上の本棚の本が乱れている。なんとなく気持ちが悪い、そこでサッと手を出して、手早く片付ける……、そんなことをし続けると、心の中につまらないことを考える暇がなくなります。もちろん、そういったことばかりでなく、趣味や遊び、なんでもいいと思います。なんでもやって、自分の生活を充実させ、いつも動いている生活を心がけましょう。しかし、現実には、神経症の方は、なぜかとても腰が重くて、なかなか動いてくれません。とにかくフットワークを軽くして、むしろ腰軽と思われるくらいに、テキパキと動いていきましょう!


当院の治療の実際

これまで、当院で行っている検査や、各種の治療法について述べてきました。誤解のないように最後に述べたいのは、「一人の方には、必ず、ある一つの検査法や、ある一つの治療法のみが当てはまる」というわけではないということです。もちろん、場合によっては、一つの治療法のみで、短期間に改善される方もいらっしゃいます。しかし、そういうふうに治療がうまく進む場合は、残念ながらそれほど多くはありません。しかし、それもそのはずです。心の病気というのはそんなに簡単ではありません。それは、そもそも、人間の心というものが複雑だからです。

本書の冒頭で述べたように、心というものは、図5のような構造になっています。例えば、うつ病は、上から数えて4番目の層、「比較的微細な脳の障害」で起こる病気とされています。確かに、その層における変調がうつ病の主体なのですが、ある一人の方の「心の全体」を考えてみると、話は複雑になってきます。もっと違う層、つまり、「意識」や、「個人的無意識」、「集合的無意識」、さらには、外界との軋轢、までが、複雑に絡み合っていることが多いのです。それらの、絡みあった各層の問題に対して適切に対応することが治療において大切であり、当院の治療も、それを目指しています。ここで、当院の治療をよく表している、お二方の事例を挙げながら、当院の具体的な治療についてご紹介したいと思います。(なお、お二方とも、プライバシー保護のため病歴や生活史の一部を改変しております)


Aさん(40代、女性)をまず例にあげてみます。抑うつ気分と意欲低下、という典型的なうつ病の症状が半年以上続いているということで当院に来院されました。ある抗うつ薬を数か月飲んでいただくと、かなり改善されました。しかし、そうすると、今度は、確認行為があることが分かりました。確認行為というのは、不安障害で出る症状ですが、うつ病と不安障害が合併している方も多く、うつ症状が治ると、不安障害の症状が前面に出る、といった場合もよくあります。抗うつ薬の中でも、確認行為にも効く抗うつ薬があるので、Aさんに飲んでいいただく薬をそれに変更しました。さらに、強迫症状に有効な精神療法である「森田療法」を併用して、森田療法的に、「あるがままに、成すべきことを成す」という指示をしました。この方は、この指示にがんばって従ってくれて、かなり行動が広がり、それにつれて症状もしだいに軽減していきました。ところが、そういった良い経過を示していると思っていた矢先、突然、Aさんは「実は今まで話していなかったのですが、母との関係が、ずっと心に引っかかっているのです。母親は、自分をまったく愛してくれていなかったと思うんです……」と仰いました。

こういうふうに、「病気」とはまた別の「人生の悩み」といったものを、ずっと抱えていて、その悩みが「病気」に少なからず影響を与えている方も、多くいらっしゃいます。つまり、図5に戻ると、このAさんは、「比較的微細な脳の障害」に起因する、うつ病と、「心」の層の障害と考えられている不安障害、さらには、「心」の層の中でも、(長い間抑圧していたという意味で)「個人的無意識」に起因する問題、といった三重の苦しみに捉われていた方ということができると思います。

ここまで、薬物療法と、森田療法で改善に向かわれていたAさんに、次に提案したのは「箱庭療法」でした。箱庭は、かなり心の奥底を表すことはできるのですが、それが、遊び様な雰囲気の中で行われることや、さらには言語を使わない、といったこともあって、患者さんの負担が少ない治療法と言われています。何回目かに作られたのが、この箱庭です(図6)。


海辺なのでしょうか、砂を斜めにして、その上に、ビー玉やガラス、そして、石などがびっしりと敷き詰められています。とても綺麗に並べられているとは思いますが、しかし、白い石などは重そうに見え、砂の下にある何かを閉じ込め、その上に重石になっているようにさえ見えます。その方は、自分で箱庭を作ってみて自分で何かに気がついたようでした。「これは、これまでの自分です。いろいろな物にふたをして、覆い隠して生きてきました」と、仰るのです。そして、その押し隠してきた物を、掘り起こし、見つめなおし、再び自分の胸に収めるという作業をしなければならない、とお感じになったようでした。

私は、結局、もう少し、うつ病も不安障害も良くなった段階で、箱庭療法を得意にする、私の信頼するカウンセラーに紹介しました。当院でも箱庭は続けられるのですが、この方の抱えている問題はあまりに大きく深いので、じっくりと時間をかけて話を聞いてくれて、なおかつ箱庭もできるようなカウンセラーが良いと思ったのです。その後、Aさんは、カウンセリングを2年以上も続け、その治療の中で、お母様との記憶、そしてトラウマとも呼べるようなものと真摯に向き合いました。そのおかげで、今では、お母様の記憶にも、ある程度距離を取って、あまり情動的なショックを受けずに立ち向かうことができるようになってきています。当院では、Aさんの治療過程のように、まずは、その方の生活における大きな支障になっている問題(まずはうつ病でしょう)から、手を付けて適切な治療を試み、その次に不安障害が顕わになったときには、それに対する適切な治療として、森田療法的な指導をしました。そして最後に、心の奥底のトラウマ的な記憶に対しては、箱庭によってそれを明らかにして治療意欲を高め、専門施設に紹介しました。このように、当院では、ある方に対して一つの治療しかしない、ということはなく、必要に応じて、あるいは治療時期にも応じて、様々な治療を併用します。さらには、当院以外の治療施設での治療を併用することが望ましいと判断した場合には、提携している外部の機関に治療をお願いすることも致しております。

次のBさん(30代、女性)もまた、当院の治療をよく表していると思います。「いらいら感」「時にひどく怒ってしまう」といった主訴でした。こういた場合、当院では脳波検査をさせていただきます。易怒性(怒りっぽさ)がある場合、その方の脳波に、てんかんという病気でみられるような脳波異常が、(てんかんではないのに)見られることもあるからです。そして、そういう波形が出る方に、てんかんに用いるような薬を飲んでいただくと、易怒性が和らぐこともあります。この方の脳波検査の結果は、図7のようなものでした。


ちょっと分かりづらいと思うのですが、矢印の先に、何か尖がった波が見えていると思います。この波形は、スパイク(正式にはスモールシャープスパイク)と呼ばれていて、てんかんの方にみられることもある波形です。定石どおりに抗てんかん薬を服用していただくことにしたところ、しだいに、易怒性が軽減されてきました。易怒性が軽減すると、次に目立ってきたのは、完璧主義や「べき主義(なんでも、~すべき、と考えすぎて自分を縛ってしまう傾向)」、さらには神経質傾向でした。こういった傾向がある場合には、SSRIという薬を処方しながら、森田療法的な指導をします。すなわち、「あるがままに、なすべきことをしていこう」とか、「できうることと、できないことを分け、できることは一生懸命やり、できないことは放っておこう」などとコメントしていきます。しだいに、Bさんの、やや真面目すぎるような傾向が和らいできました。それと共に、易怒性がさらに軽減しました。この方の易怒性は、やはり神経質傾向とも関連があったようでした。

そうこうしているうちに、Bさんは箱庭療法をすることを自ら希望されました。何回か、楽しそうにやっておられましたが、 回目に図8のような箱庭を作られました。


左下隅のマリア様が見守る下で、騎兵隊とインディアンが壮絶な戦い繰り広げています。一般的に、こういう「戦いのシーン」は、箱庭療法の過程で、重要な時期にしばしば現れます。おそらく、内面の葛藤などが顕わになり、そのせめぎ合いのうちに、心が何らかの解決を目指していることを表していると考えられます。同じ頃、Bさんは、お母様との葛藤を語ったり、自らの高校時代のつらい思い出を語り始めました。さらには、(この頃は仕事を休職されていたのですが)社会復帰への不安を強く訴えられました。お母様との葛藤については、傾聴しながら、箱庭を作り続けていただくことにしました。さらに、職場への復帰の不安については、いわゆる「リワークプログラム」への参加を提案しました。当院ではリワークは行っていないので、近隣の、リワークのあるクリニックに紹介させていただきました。リワークでは、仕事におけるスキルをあげるようなワークがいろいろとなされていたのですが、Bさんにとっては、その習得そのものもさることながら、グループで何かをやるということそのものが、とても楽しいようでした。ご自分でも「こんなに楽しくていいのかなって思うくらい」とおっしゃっていました。考えようによっては、高校時代に楽しめなかった集団生活の喜びを、今、取り戻しているかのようでした。

箱庭療法やリワークを通して、Bさんは、知らず知らずのうちに、過去のトラウマを克服していったようでした。その後、元々の専門職とは全く異なる、ご自分が前から好きだったある嗜好品に関するお仕事につきました。今はとても満足しておられ、特にイライラすることもなく過ごされてします。薬に関しては、SSRIをごく少量のみとなっており、いずれ中止することも十分可能と思われます。このBさんも、当院の治療をよく表しています。確定診断は未だに決めかねていいます。前に受診されていたクリニックでは人格障害と診断された上での治療を受けていました。当院では「脳波異常+神経質傾向+お母様との葛藤+高校時代のトラウマ的な生活」といったものが重なった方として捉えました。図5に戻ると、「比較的粗大な脳の障害」の層と「心」の各層の問題が重なっていて、それぞれの層の問題に対して最適と思われる治療を試みた、ということが言えると思います。このBさんの治療においても、当院でご提供できる治療は当院で、しかし、当院でご提供できないものに関しては、積極的に他の医療施設をご利用していただくことにしました。長くなりましたが、以上のお二方の治療を通して、当院の治療の実際を知っていただければ幸いです。

このように、実際のメンタルな病気の治療というものは、一筋縄ではいかず、いろいろな要因が複雑に絡み合いながら進展していくものです。当院では、患者さんお一人お一人の、幾重にも重なった問題の全てを把握していくことに努め、その各々の問題に対して最適な治療をご提供していくことをモットーとしております。

そういった治療を可能にしていくためにも、まず、患者さん皆様が、お悩みの全てを、お話いただくことが必要です。ぜひご遠慮なさらずに、お気軽に、その都度のお悩みを、お聞かせいただけると幸いです。当院は、そのお悩みに最適な治療をご提供できることを喜びとしております。